14歳の夏の午後、雲を見ていて詩が浮かぶ。この時から詩や童話を書き始める。たくさんの寄り道をして現在に至る。染織・パン作り・パーカッションなど興味の範囲が広く趣味とよべるものがない。よく変人扱いされるが実は極めて常識的でやることはかなり古風。えりさの名の由来はアンデルセンの「白鳥の王子」より。
これをもってくるのも、用意するのも一苦労です。私は、朝寝坊で、起きた頃には、母が5時頃摘んで水揚げし、 ぬらしたタオルやビニールに根元を巻かれ、新聞紙に包まれた塊がすでにできています。大変だ大変だといいながら、いつも用意してくれるのですが、 こっちをこう持てだの、ああ持てだの、いろいろ言われると、つい憎まれ口をたたいて、「どう持ったって同じだよ」なんて言って、出かけてきます。 細かいところまで気がつくくせに、虫の存在はみえないらしくて、バッタだの芋虫だの、いろんなものもついてきて、「ここ、虫」などと お客様に教えられることも多いです。 知り合いが、枯れかけた植物をもちこんでくると、熱心に手当てします。まるで植物病院。 利子さんは、イギリス人がよく言う、グリーンサム・・・園芸名人。(自分の子育てに関しては疑問がありますが) たいてい治って退院します。 「自分達は、食べ物や水を摂るのに、植物にはあげないんだから。育てる資格がない」とよく怒っています。 植物好きなのは私も同じ。二人で散歩すると、道端の植物をよく見ます。
そんな利子さんが更年期を無事越せたのは、植物のおかげです。6人の子育て、40歳過ぎて はじめて働き始めて、がむしゃらに過ぎた10数年。その後、急に襲ってきた更年期障害の症状が重く、 体調不良のほか、欝状態で、見ていて可愛そうな状態が続きました。その頃、新聞で、農大の成人学校の存在をみつけ、いいかもしれない、 と私が申し込みました。その時に受付をしていた女性に、「あの時は、娘さんにかかえられてきたのが嘘みたい」と後によく言われました。 面接は簡単だったようですが、日本統治下の朝鮮で、小学校へ行ったものの、ほとんど勉強をする状態でなかった上、 あんまり勉強好きでなかった利子さんは、日本語をきちんと書けないことを恥じて、もじもじしていました。合格通知をもらったものの、 これではいけないと思い、カルチャースクールの書き方教室をみつけ、講師に相談して、私が同伴して授業を受けました。 気が強くて、なんでも自分でこなす人が、まるで小さい子供のように、教室でちんまり座り、私の存在を確かめるように、時折後ろを振りかえるのが、 なんだかおかしくて、今でもその姿を時々思い出します。
学校は週3回で、クラブ活動などもあり、通い始めてからの 元気回復振りは、目をみはるものがありました。好きなことプラス植物パワーで、あれはなんだったの?と言う位、一年後には健康をとりもどし 、積極的に友達を作ったり、おしゃれしたり・・・利子さんは男性軍に絶大な人気を誇り、いつも隣に座りたがりの人やお茶をおごって くれる人たちがいました。学校へ行く朝は、そんな人たちと分けるお弁当を楽しそうに作っていました。字のことも心配に及ばず、いつも誰かのノートをちゃっかり コピーさせてもらっていました。 驚くべきは華道で、生ける前の課題の作画などせず、いきなり本番で生けてしまって、 そのセンスがよくていつも先生から褒められていました。 文化祭の時は、利子さんの生けた花の前にたくさんの人が集まっていたほどです。 色や花の好みは私と違って、はっきりした原色の花が好きで、うちの花壇は・・・と言っても小平市役所から借りた土地ですが、 半分母好みの花、半分私好みの花が育っています。2年前に癌の手術で入院した後は、庭の手入れが心配でしたが、退院後2ヶ月目からは、くたびれたといいつつ、 花の世話をしている姿がみられるようになりました。
3月の卒業シーズンがくると、いつも利子さんの農大成人学校の卒業式を思い出します。子供が出席、なんていうのは、私だけでしたが、元気になって楽しく 学んでくれてよかったと、とても嬉しかったです。
今日も農大で学んだ知識と腕で、せっせと花の世話をする利子さん。半年前には小さかったサボテンが、いつの間にか丸い大きなもくぎょうのようになってしまったのを、 横目でみつつ・・元気でいて ね、と願います。今年も平均律を飾る花は、母が育ててくれてます。