初めて西表島へ行ったのは2005年7月。その時シュノーケルを体験して、いままで休んでいた感性の扉が再び開いた気がしました。衝撃の体験。外からみえる海と、覗いてみた海は全然違いました。異次元の感覚。色にあふれ、躍動する波。手をのばせばすぐ近くにいるのに捕らえることができない魚たち。それらは日々平均律を通して出会う人達や事象とも似ています。私にとって全てが愛おしい光と陰の世界です。そんなこんなを書いてみたいと思うようになりました。少しずつ少しずつ・・・。 えりさのプロフィール

14歳の夏の午後、雲を見ていて詩が浮かぶ。この時から詩や童話を書き始める。たくさんの寄り道をして現在に至る。染織・パン作り・パーカッションなど興味の範囲が広く趣味とよべるものがない。よく変人扱いされるが実は極めて常識的でやることはかなり古風。えりさの名の由来はアンデルセンの「白鳥の王子」より。

大竹英洋さん プロフィール

1975年生まれ。一橋大学社会学部卒業。1999年、初めてミネソタ州北部の森を訪れて以来、写真家としての活動を開始。現在、カナダ北方林を含めた湖水地方“ノースウッズ”で、野生の意味・自然と人間との関わりを問う作品を制作し、写真展や絵本などで発表している。主な著書に、『春をさがして カヌーの旅』(『たくさんのふしぎ』、2006年4月号、福音館書店)、『ノースウッズの森で』(『たくさんのふしぎ』2005年9月号、福音館書 店)。

Vol.2 水辺を旅して 1
2007年12月7日夜ー大竹英洋氏の写真展「Northwoods」の会期中、平均律でスライド投影とお話の会を設けました。一時間半ほどの会が終了した時、お客様たちの間に、静かな大きなため息がもれました。店内は穏やかな優しい空気に包まれて・・・・。後日みえた大竹さんにたくさんのお話を伺いました。平均律で、5年前からいろいろな個展を開催するきっかけとなった、大竹さんの魅力の一部を伝えることができたら、と思います。

「少年時代、小学2、3年生の頃、母の実家の舞鶴に住んでいたことがあるんです。小高い丘の上の家・・・団地だったんですが、夏休みの朝とか、街灯にくわがたがいたり、用水路にイモリやモリアオガエルがいたりしたんです。」
少年は、落ち葉のつもった裏山に秘密基地を作って、そこに傘やビニールシート、おもちゃやお菓子を持ち込んで遊ぶ・・・自然の中で思いっきり、のびのびと遊んだことを語る大竹さんの瞳は少年のようにきらきらします。

4年生になって東京で暮らし始めます。自然が身近にあった生活からだんだん離れていき、記憶もだんだん薄れていったようです。一橋大学に入学して、ワンダーフォーゲル部の新入生歓迎ハイクの1泊2日コースに参加。浪人生活で身体がなまっていたという彼は、(なさけないことに、と)下山途中で動けなくなってしまい、先輩たちに荷物を分け持ってもらう「ザック解体」にあいます。「あいつはもう来ない」と思われていたのに、ワンゲルを続けたのには訳があります。「まだ疲れる前、ひと休みした時のこと。たくさんの落ち葉の上に座って、その香りをかいだ時、子供時代の楽しかった思い出が鮮明によみがえったんです」体力だけの問題ならとワンゲルに入ったことが、今の大竹さんの活動に繋がりました。香りというものは、時に強力な働きをします。そんな覚えがある方も多いのでは?

ジャーナリズムに興味があって大学と学部を選んだという彼は「自然の中で、人間のスケールを超えた時間の流れや空間の広がりを感じたい」そして、「自分の見た世界を人に伝えたい」と強く思うようになります。長い時間自然にどっぷりつかって、その中から見えてくるものを伝えるーはじめに職業があったのではなく、切り捨てていった結果、自然に写真家という職業が浮かびあがってきたようです。

「森の小屋から見えた、雪の中を横切っていくオオカミ」
静かだけど印象的な一枚の絵のような、そんな夢をみたことをきっかけに、彼はいよいよ写真家になる道を歩み始めます。(この夢のお話がじつはとても魅力的な箇所なのですが、単に不思議な部分ばかり強調されたくない、という本人の意思を尊重したい、そして、私自身、そのことを大竹さんの手でいつか書いてくれることを願って簡単に触れるだけにしておきます。)
オオカミの写真で知られる、アメリカ在住・National Geographic契約カメラマン、ジム・ブランデンバーグ氏の写真集を見て、ナショ・ジオ本社宛にジムへの手紙を書きます。返事なし。大学4年、周りが就職活動している間も、ただひたすら返事を待ちます。返事のないまま卒業。そして、ジムに会いにアメリカへ旅立ちます。(会って、運がよければ彼のアシスタントとして弟子入りしたい)
「手紙の返事がないまま行ってしまったの?」
「返事はきてないけど、Noではないから」

う〜ん参った!これ、これが私が知っている大竹さん。私が捉えた大竹さん像とぴったり合います。
彼には彼の理屈があるのです。そもそも大竹さんと平均律の出会いは、彼が店に取材にきたことから始まります。それまできた取材カメラマン達と彼は断然違ったのです。どうしても上手く説明できないのですが、彼の持っている時の流れが、普通の人と違う。地味なのに、大きな存在感。ぐいぐいとおしつけてはこないけど、芯がしっかりしてして、容易に自分を曲げなさそう。一見ソフトにみえる外見や、少年のような目に惑わされて、軽くふみこむと、深い果てしない世界に入ってしまう。こちらの心を見透かれてしまうような瞳に合うと、どきどきしたものです。透明感・・・。

脱線しました。行動派の大竹さん、アメリカのミネソタ州に着いて、ジムの写真集に載っていた手書きの絵地図だけを頼りに、どんどん進んで行きます。ついにジムの家らしき場所からわずか40キロ地点に到達。道路を歩けば一日でいける距離。そこは、北欧の風景に似た水と森の土地。水浸しといってもいい所。「面白い方法をみつけたんです」彼はカヤックに3週間分の食料を積み、水辺をたどって、ジムの家を目指します。8泊9日の旅。

「ゆったり行こうというのが大竹さんらしいですね」
「帰れと言われたら終わってしまうから」
(では少しは不安があったのかな?でもジムがその時そこにいるとは限らなかったんだし・・・)
誰に連れられていくわけでなく、ワンゲルで身に着けた行動力と生活力で、彼はおおいにこの旅を楽しんだようです。

「楽しかったでしょう」
「人生で一番楽しかった旅の一つでしたね」
予想外の(蚊の大群)に悩まされたものの、水鳥のアビが卵を抱いているのや、白頭鷲の巣や、ビーバーのダムを見たり楽しい旅を続けます。水を漕ぐオールのゆったりした音が聞こえるようです。
「このまま帰ってもいいんだなあ」彼はそんなことを思います。けれどちゃんと会えます。神経細胞がどんどん伸びていく様子を想像してください。人、好意、人を介して、ジムに対面。
「こんにちわ」ジムの最初の言葉は日本語でした。親日家の彼の言葉は大竹さんには太陽の光のようだったと想像されます。

ジムは大竹さんの話を熱心にきいてくれます。手紙は届いていなかったのです。そして、「自然の写真を撮る時、一人でいることが大切。だから自分はアシスタントは必要ないけど、君もとにかくすぐ写真を撮り始めなさい。たまに会って写真の話をしよう。」とアドバイスをくれます。そして、大竹さんはジムの紹介で知人の空き小屋に寝泊りして写真を撮りはじめ、3ヶ月のあいだジムの存在を傍らに感じて、いろいろ体験します。ジムは世界的な写真家で、最寄りの町のギャラリーには彼の最新の写真が並ぶのです。ぐいっと引っ張りあげられた感じ・・・大竹さんはそう語ります。

その後日本に戻って、スキー場でバイトをしたりして、お金を貯めて渡米を繰り返します。その間に、大竹さんの写真絵本『春をさがして』(月刊『たくさんのふしぎ』2006年4月号福音館書店)にでてくるウェインとの幸せな出会いがあります。以来、ウェインと大竹さんは、ソウルメイトといった感で旅を共にしています。平均律に大竹さんがみえたのは、2003年、日本で仕事をしている時でした。現在も、北米大陸と日本を行ったり来たりして、自然を撮り続けていますが、彼が「ノースウッズ」と呼んでいる、ミネソタ北部から国境を越えてカナダにかけてつづく森と湖の世界が主なフィールドです。最近はカナダ・オンタリオ州のウッドランドカリブー州立公園によく行くそうです。
現地の人達に頼まれて、美術館や学校などで、スライドを見せながら自然や旅の話をすることもあるそうです。アメリカやカナダの人達は、異国からやってきた青年によって、自分達が住んでいる場所の良さを再発見しているようです。
水辺の旅はまだまだ続きます。という訳で、大竹さんが語るテーマのいくつかに触れてみます
                                                      2に続く(4月下旬)


Copyright(C) by 大竹 英洋

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