初めて西表島へ行ったのは2005年7月。その時シュノーケルを体験して、いままで休んでいた感性の扉が再び開いた気がしました。衝撃の体験。外からみえる海と、覗いてみた海は全然違いました。異次元の感覚。色にあふれ、躍動する波。手をのばせばすぐ近くにいるのに捕らえることができない魚たち。それらは日々出会う人達や、身辺に起きる事象とも似ています。私にとって全てが愛おしい光と陰の世界です。そんなこんなを書いてみたいと思うようになりました。少しずつ少しずつ・・・。 えりさのプロフィール

14歳の夏の午後、雲を見ていて詩が浮かぶ。この時から詩や童話を書き始める。たくさんの寄り道をして現在に至る。染織・パン作り・パーカッションなど興味の範囲が広く趣味とよべるものがない。よく変人扱いされるが実は極めて常識的でやることはかなり古風。えりさの名の由来はアンデルセンの「白鳥の王子」より。

Vol.3 花の顔(かんばせ)会えるまで
 ソメイヨシノがいっせいに咲き出す頃は、必ず寒のもどりがあって、うっかり薄着をして出かけると、帰りに寒い思いをして、薄いコートの襟を立てて歩いたりします。
今年は早めに花が咲き出しました。とても暖かかったのに、やはりやられた〜という感じで、朝夕冷えています。
 ソメイヨシノは、江戸時代に成功した、今でいうバイオ技術のたまもの、いっせいに咲くのはそのせいです。それが、何だか怖いように感じるのは、私が年齢を重ねた せいでしょうか。みんないっしょにいっせいに咲きだすエネルギーが怖いし、あの散り方も怖い。

 好きな桜は、花の咲く前の蕾、地面に散った花びらの絨毯、下から見上げる夜桜。

 咲く前の蕾は白くなく濃いピンクです。以前、井の頭公園の近くに住んでいた頃は、朝早くに出かけて、池の縁取りのように枝を垂れた桜の木々を、遠くから眺めたものです。 遠くまでほんのり赤っぽいラインがきれいでした。
 花が散ったあとの白い絨毯は、春だけの楽しみ。花びらは少しハート形で愛らしい。花びらを押し花にしてみたことがあります。 何ヶ月か経って忘れた頃、ノートの間からひらひら落ちてきて、見てみたら、白っぽくはなくて、ピンクの花びらに濃いピンクの筋が入っていました。時とともに変わってゆく、人の気持ちのようで、不思議な 気がしました。
 地面の絨毯だけでなく、川の流れに、花びらがゆらゆら揺れて流れてゆくのも風情があります。

 夜桜はよくライトアップされますが、昼間と違った桜の別の表情をみることができます。
 楽しいお酒を飲んで、少し酔っていい気分の晩に、桜並木の、垂れた枝に触れたことがあります。花びらはひやっと冷たくて 、夢見心地のほてった頬に気持ちよかったです。

 今日散歩をしていて、少し休もうと、ベンチに座ろうとした所に、ポトッと桜が落ちてきました。尾長鳥が蜜を吸おうとしていて落としたのかもしれないけれど、私には、先客のように思われました。 花の隣に「失礼」と声をかけて座り、一緒に春の午後の遅い時間を楽しみました。花に口がきけたら、咲く前に高い枝から見た景色や出来事を語ってくれたかもしれない。
 花が咲く直前には、蕾が一番重くなるそうです。(科学的には水分の移動なのでしょうが)それは、蕾が春の訪れを待って、夢や希望で一杯になって、その重さに耐えられなくなって、 ふっと大気にとき放す気がしてなりません。想いを解き放つー。
 今日の夕暮れは春らしい、ぼんやりとした少し眠たいような空気で、沈丁花の甘い香りが漂ってきて、いつになく感傷的な気分になって、 今はもう彼方の思い出をたどり、記憶は行きつもどりつ・・・。

 どれくらい前のことだったか、春のまだ浅い日に、「陽な笑顔でお花見しよう!」花びらのように手紙が舞い込みました。行きたかったのに、約束を果たせず、お詫びの手紙を書いた事。すると後日届いた手紙には写真が 一枚。公園のベンチの上に散った桜を写したもの。「花の顔(かんばせ)会えるまで」そう言葉が添えられていました。今はもう会うことが叶わぬ人は、いつも美しい言葉をくれる人でした。

 どれ位、ベンチに座っていたのか、寒さに我に返りました。美しい思い出に浸るのは素敵だけど、私も、もうそろそろ思い出を大気に解き放たねば。  来年こそ、陽な笑顔で再会したい花のかんばせ・・・会えるまで。

                                           2008年4月 桜が散り始めた日に